栄研スタッフによる解説論文集 作成日 98/06/29 02:18 PM

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運動はDNA損傷を惹起するか?

梅 垣 敬 三 (国立健康・栄養研究所 食品表示分析・規格研究部)

1.はじめに

生体に酸化ストレスが加わると、生体成分(脂質、核酸など)が酸化損傷を受ける。最近の研究から、その生体成分の酸化損傷は、発癌や動脈硬化などの疾病発症、ならびに老化に関連することが示されている ([Ames, 1983] [Loft, 1996])。 酸化ストレスを与えるものとしては、化学物質の暴露、放射線照射など多種多様なものがある。酸素摂取量の増加も体内において活性酸素を形成し、生体成分に酸化損傷を与える可能性が示唆されている([Loft, 1994])。

健康の維持増進や心臓血管系の疾病予防に対して、運動が有益な作用を有することが知られている([Fletcher, 1993], [Chandrashekhar, 1991])。 最近の研究から、その運動によっても、酸素摂取量が高まることにより、体内で活性酸素が形成され、DNAや脂質の酸化損傷が起こる可能性が示されている([Ji, 1995])。とりわけ発癌や老化に密接に関連するDNA損傷が、運動によっても起こるか否かが注目されている。そこでここでは、現在までに得られている運動とDNA損傷に関する研究結果を調査し、その関連性について考察した。

2.運動によるDNA損傷の評価方法

DNA損傷に対する運動の影響を検討した研究結果を解釈するとき、DNA損傷がどのような手法で評価されているかを知ることも重要である。これまでの研究では、シングルセルゲルアッセイ(SCG)法、小核試験法、DNA unwinding法、8-ヒドロキシデオキシグアノシン(8-OHdG)測定法を用いてDNA損傷が評価されている。

SCG法は、スライドグラス上の寒天ゲル中に埋め込んだ細胞を電気泳動したとき、DNAに損傷がある条件では、核DNAが彗星のように尾を引くことを利用して、DNA損傷を評価する手法である([Fairbairn, 1995])。この方法は別名コメットアッセイ法ともいわれ、1つの細胞に生じたDNA損傷が検出できる。電気泳動を行う前に細胞を特殊な酵素処理することで、酸化損傷も特異的に検出することが可能である。

小核試験法は、細胞分裂後に、損傷を受けた染色体が核に取り込まれず、小さな核(小核)として出現することを利用して染色体損傷を調べる手法である([Fenech, 1993])。この方法は、測定感度が高く、ヒトにおける環境物質のバイオモニタリング法としても利用されている。しかし、小核試験により検出された損傷が、酸化損傷であるか否かを特定することは難しい。

DNA unwinding法は、アルカリ溶液中で2本鎖DNAが1本鎖になるとき、DNA損傷がある条件では、速やかに短い1本鎖DNAになる性質を利用してDNA損傷を評価する手法である([Birnboim, 1981])。 この方法は、DNA鎖切断を検出できるが、検出感度もそれほど高くはなく、検出されたDNA損傷が酸化損傷を示すか否かも特定し難い。

核酸の一つであるデオキシグアノシンの酸化により形成される8-OHdGは、DNAの酸化損傷を示す最もよい指標と考えられている。この方法は、血液細胞や組織から抽出したDNA 中の8-OHdG、あるいは尿中に排泄される8-OHdG量を測定し、そのレベルの増加によりDNA の酸化損傷を評価する手法である([Kasai, 1997])。尿中8-OHdGのデータは、8-OHdGがDNA から由来したものか、DNA以外の核酸プールから由来したものかを特定できない。また、DNA中の8-OHdGのレベルにおいても、その値は損傷と修復を含めた値であることを理解する必要がある。すなわち、酸化損傷が起きている条件でも、DNA修復が亢進しているときは、8-OHdGレベルが高くならない可能性がある。

3. 運動とDNA損傷の関係を評価した報告

運動とDNA損傷の関係を検討した論文は、現在までに15報ある(表1)。DNA損傷の測定方法としては、Hatmannらのグループが主に白血球を用いたSCG法、Senらが白血球を用いたDNA unwinding法により評価しているが、その他はほとんどが尿中や白血球DNA中の8-OHdGレベルにより評価している。運動負荷がDNA損傷を惹起することを示した論文は、15報中で9報あるが([Alessio, 1993 #41],[Asami, 1998], [Hartmann, 1994], [Hartmann, 1995], [Hartmann, 1998], [Inoue, 1993], [Niess, 1996], [Poulsen, 1996], [Sen, 1994])、その運動負荷の方法は、疲労困憊する程の極めて厳しい条件である。一方、運動がDNA損傷を惹起しなかったことを示した論文において、運動負荷条件はそれほど厳しいものではない。一般人を対象にして、日常行っている運動とDNA損傷度の関連を調べた研究が2報あるが([Nakajima, 1996], [Pilger, 1997])、いずれの研究においても運動によるDNA損傷の増加を検出できていない。

核のDNA損傷は発癌に重要であるが、核にはDNA損傷に対する修復などの防御能が備わっている([Richter, 1988])。このことが原因で、これまで運動によるDNA損傷が検出し難かった可能性も考えられる。脂質はDNAのような損傷修復がなく、酸化され易いことが知られている。しかし、脂質に関しても、運動がその酸化を促進したという報告([McBride, 1998] ,[Wetzstein, 1998])、促進しなかったという報告([Leaf, 1997], [Margaritis, 1997], [Vasankari, 1997])などあり、その結果は一定していないのが現状である。

4.運動によるDNA損傷の機構

運動によるDNA損傷の機構を明らかにすることは、その損傷を防御する上でも重要である。HartmannらはSCG法を用い、激しい運動負荷がDNA損傷を惹起することを示している ([Hartmann, 1994], [Hartmann, 1995], [Hartmann, 1998], [Niess, 1996])。しかし、最近の彼らの報告では、そのSCG法により検出されたDNA損傷が酸化的な損傷ではないこと、SCG法により検出できても、小核試験法や8-OHdG法では検出できなかったことを報告している ([Hartmann, 1998])。彼らは以前の研究においても、SCG法により検出されたDNA損傷が、姉妹染色分体交換法では検出できなかったことを報告している([Hartmann, 1994])。ちなみに姉妹染色分体交換法は、DNA損傷の検出感度が極めて高い方法である。従って、Hartmennらが認めている白血球DNA損傷は、SCG法によってのみ検出できるものと考えられる。運動後に認められる種々の現象は、炎症反応と類似している([Smith, 1991][Wetzstein, 1998])。このことから推察して、激しい運動負荷後の白血球DNA損傷は、運動により炎症が惹起され、その結果として血液細胞の一つである白血球のDNA損傷が惹起された可能性も考えられている。激しい運動により生ずるDNA損傷機構の詳細については、今後の研究を待たなければならない。しかし、これまでの研究結果から推察して、運動とDNA損傷の関係は、運動を行うと酸素摂取量が高まることにより生体内で活性酸素が形成され、その結果としてDNAの酸化損傷が起こるというような単純な機構では起こっていないと思われる。

5. 運動と発癌の関係

DNA損傷が発癌に関係し、運動がDNA損傷を惹起するのならば、運動により発癌率は高くなることが予想される。DNA損傷を検出したような過激な運動と発癌率に関する報告はない。しかし、適度な運動と発癌率に関しては、多くの疫学調査ならびに実験動物を用いた研究がある。これらの報告は、予想とは逆に、運動が結腸癌、乳癌、前立線癌など、種々の発癌を抑えることを示している([Shephard, 1997], [Blair, 1989], [Macfarlane, 1994], [Gammon, 1998], [Thune, 1997], [Hartman, 1998], [Oliveria, 1997])。以上のように、適度な運動は、心臓血管系の疾病予防だけでなく([Fletcher, 1993], [Chandrashekhar, 1991])、発癌の予防にもなるようである。

6. 運動と生体の抗酸化能

Niesらは鍛錬者と非鍛錬者に一過性の激しい運動を負荷したとき、白血球DNa損傷は、非鍛錬者で著しくなることを報告している([Niess, 1996])。Inoueらは、運動負荷により白血球DNA中の8-OHdGレベルはむしろ低下することを認めている[Inoue, 1993]。これは、運動によりDNA損傷修復能が亢進したためと考えられている。常に運動を行っている人では、抗酸化に関与する酵素活性が高いこと([Ortenblad, 1997], [Robertson, 1991])、LDLが酸化を受け難いこと([Sanchez-Quesada, 1997])も報告されている。これらの研究結果は、日頃から運動して鍛錬することにより、生体における種々の抗酸化能が高まり、運動を行っても、DNAや脂質の酸化損傷が起き難くなる可能性を示している。また、生体成分の酸化損傷は、抗酸化物質の摂取によっても防御できると考えられる([Ames, 1983], [Jacob, 1996]、[Ji, 1995])。実際、激しい運動により惹起された白血球DNA損傷([Hartmann, 1995])、血漿の脂質過酸化([McBride, 1998])が、ビタミンEの摂取により抑制されることが報告されている。

7.まとめ

運動と一言でいっても、その種類と程度は様々であり、運動を行う人の特性によっても、運動の生体に対する影響は異なる。このようなことが、運動とDNA損傷を検討したこれまでの研究結果が一定していない原因になっていると思われる。現在明らかなことは、1)日常運動を行っていない人が、極めて激しい運動を行った条件においては、DNA損傷が惹起される可能性を否定できないこと、2)一般の人が行っている適度な運動では、DNA損傷は惹起されず、むしろ癌や心臓血管系の疾病予防になることである。生体には酸化ストレスを受けても、それに対する防御能力が備わっている。それらの防御能は、日常の適度な運動、ならびに適切な食生活を介した抗酸化物質(ビタミンC、ビタミンEなど)の摂取により高まる。すなわち、適度な運動と適切な食生活を実践することは、健康の維持増進、癌や心臓血管系の疾病予防につながると考えられる。

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